博多華丸・大吉の安定感を与える人気は不動!MCを務める上品芸人

博多華丸・大吉が人気!安定感を与える魅力溢れる上品芸人

博多華丸・大吉は人気がどんどん出てきていますよね。彼らの安定感や安心感は、テレビ業界で欠かせない存在になっています。博多華丸と博多大吉はそれぞれ存在感があり、コンビとしても絶妙な掛け合いで面白く、多くのテレビ番組に引っ張りだこの人気。

NHKの朝の顔として定着、「あさイチ」の帯番組をキャスターとして務める上品芸人は貴重な存在ですよね。「博多華丸・大吉」について紐解いてみましょう。


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二人の出会いと芸人になったきっかけ

1989年に、二人は福岡大学に入学します。お笑い関係のサークルが落語研究会しかなかったため入会することに。先輩後輩が和気あいあいとしたゆるい関係のサークルという勧誘でしたが、実際は上下関係がきつく、いろいろな不満や愚痴を言うことで二人は仲良くなりました。

吉本興業が福岡に事務所を開くにあたり、1990年に1期生を選ぶ目的でオーディション番組「激辛!?お笑いめんたい子」を開催。大学にもエントリー依頼が来て、コンビ名「岡崎君と吉岡君」で出場します。

決勝では8組中2組が合格するところ、惜しくも4位という結果に終わります。人員不足ということで声を掛けてもらったのです。売れる自信がなく、誘いを受けるか二人は一晩悩みました。

長渕剛の歌に背中を押され、「今しかない」と決意し、福岡吉本1期生として芸人になりました。

 

博多華丸(はかたはなまる)

本名は岡崎光輝、1970年4月8日生まれの50歳(B型)。福岡県福岡市出身。ボケ担当。児玉清や川平慈英などのモノマネを得意としています。

 

博多大吉(はかただいきち)

本名は吉岡廣憲、1971年3月10日生まれの49歳。福岡県古賀市出身。ツッコミおよびネタ制作担当。「大吉先生」と呼ばれることが定着してきています。

吉本興業公式サイト:https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=213

 

女性パートのアドバイスでコンビ名変更?

「岡崎君と吉岡君」でオーディションに出ましたが、1990年にデビューした時のコンビ名は「鶴屋華丸・亀屋大吉」でした。「華丸・大吉」に決めていましたが、所長の意見もあり、もっとめでたい名前にしたのです。

博多の屋号に変更したのは2004年、事務所の女性パートのアドバイスがきっかけでした。この女性が姓名判断に詳しく、「屋号を変えた方がいいとずっと気になっていて、おすすめが『博多』。

運気を上げるには2年以内に東に向かうこと」と退職される時にアドバイスされました。この女性の提案で「博多華丸・大吉」改名し、その1年後の2005年に東京吉本に移りました。

福岡吉本出身の後輩芸人「ヒロシ」が、東京で大ブレイクをして福岡に凱旋したときの人気の凄さにも影響され、全国区になりたいと東京進出を決断する後押しとなりました。

 

カンニング竹山との関係

福岡吉本1期生のオーディションで優勝したコンビは「ター坊ケン坊」といい、このター坊は竹山隆範(カンニング竹山)でした。福岡吉本ではター坊こと竹山と華丸をメインに売り出しを図り、大吉は裏方のような扱いでした。

ター坊(竹山)が全国で売れたいと福岡吉本を1年で辞め上京したので、大吉にもチャンスが回ってきたのです。竹山が東京に進出せず福岡にそのままいたら、大吉は表に出られず裏方に専念し、辞めていたかもしれないというエピソードがあります。

華丸と大吉は福岡のテレビ番組を中心に人気が上昇し、大吉はMCを任されることも多くなりました。現在MCでも大活躍する安定感が、若い頃から地方番組で経験し培われていたのですね。

カンニング竹山は東京進出後も約10年間売れない時期が続き、一方の華丸大吉は福岡で早くから人気を得ていたため、わだかまりがありましたが、今では共に成功し交友を深める仲です。

 

児玉清のモノマネネタでブレイク

2005年に「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」に華丸が出場し、連覇を果たし全国区の知名度になります。

2006年には華丸が「R-1ぐらんぷり」に初出場で優勝を飾りました。この大活躍につながったネタが児玉清のモノマネです。「アタック25」や、「あいうえお作文」を児玉清のモノマネでおこなうネタは鉄板で、大うけしました。

R-1グランプリの決勝では児玉清ではないネタをしようとすると、大吉と意見が食い違い喧嘩になってしまいます。大吉もネタを考えるなど、一緒に戦っていたので本気です。

しぶしぶ華丸が折れ、優勝できたため、大吉に頭が上がらなくなったそうです。唯一大喧嘩した出来事でした。2006年9月放送の「アタック25芸能人大会」に華丸の出演が実現し、児玉清本人と初共演。

「アタックチャーンス!」を宣言するポーズを児玉清に敬意を表し、左手でおこなうようにしていました。共演した際のみ児玉清本人の提案で、一緒に右手でおこない感動したエピソードがあります。

 

大吉先生が定着

2014年には「第4回THE MANZAI」にて優勝を飾り、漫才の実力も認められました。テレビのMCやラジオのパーソナリティでの、大吉の話術もブレイクの大きな要因です。

「アメトーーク!」にて、番組スタッフが博多大吉を先生と呼んだことから広まり始め、出演者からも大吉先生と呼ばれるようになりました。

その後、松本人志からも「先生」と呼ばれ、周囲の反応も一変。話術と品のある芸人「大吉先生」が定着し、博多華丸・大吉の快進撃は今後も続くでしょう。

 

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