渡辺直美はインスタ女王!世界的に影響力のあるインフルエンサー

渡辺直美はインスタ女王!世界的に影響力のあるインフルエンサー

渡辺直美のインスタグラムのフォロワー数が、断トツの日本一を継続しています。2020年7月7日現在で約939万人と、いよいよ大台の1,000万人にも手が届きそうな勢いです。

吉本興業のお笑い芸人から、世界でマルチに活躍する成長を遂げている渡辺直美について、紐解いてみましょう。


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芸人になるまで苦労した渡辺直美

渡辺直美は、1987年10月23日生まれの32歳(A型)。日本と台湾のハーフです。両親が離婚し、幼少期から母と暮らし、食費にも困る厳しい生活でした。

日本語がまだあまり分からない母に育てられ、茨城と台湾を行き来していたこともあり、子供の頃から日本語に自信がなかったのです。

高校受験に失敗し、子供の頃からモノマネやコントが好きだったのでお笑い芸人になりたいと伝えるも、母に大反対されました。売れる芸人はほんの一握りで、しゃべくりの才能など秀でたものが必要です。

まだ15歳の女の子、しかも正確な日本語に不安がある娘には困難と考えたのかもしれません。直美の決意は固く、3年間ファミレスでアルバイトに励み、吉本興業の養成所NSCの入学金を貯めます。

18歳になると再度芸人になりたいと切り出しますが母に反対され、家出同然で東京へ向かい、NSC12期として2006年に入りました。

 

吉本興業公式サイト:https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=2710

ビヨンセのモノマネ芸でブレイク

最初は「わたもち」、数か月後に「フレッシュライム」と同期とのコンビを組んでいた時期もありました。2007年NSC卒業後のライブのオーディションで、一人ずつ特技を披露しなければならず、そこでビヨンセの真似をするパフォーマンスを初めて行い、ピン芸人としての第一歩でした。

オーディションにも受かって、ライブ本番でMCを務めたピース綾部にも好評でしたが、相方とのずれが生じてきて、コンビは2007年9月に解散。

正式にピン芸人として活動を始めて数カ月、ライブを見に来ていた今田耕司の目に留まります。今田耕司の一押し芸人として、2008年の正月番組「新春大売出し!さんまのまんま」(関西テレビ)に出演し、渡辺直美のビヨンセ芸が全国にお披露目され、ブレイクのきっかけになりました。

 

コントにも挑戦し人気者

2008年春には、「笑っていいとも!」(フジテレビ)のいいとも少女隊(第14代いいとも青年隊)に2年間抜擢され、お昼の国民的人気番組に出演し知名度もアップ。

いいとも少女隊が終了し1年半後には、月曜レギュラーで番組に復帰しました。「ビヨンセ芸だけでは一発屋で終わるかもしれない」という危機感もあり、コントにも力を入れる試みを始めます。

2009年には、1期先輩のチョコレートプラネットや同期のジャングルポケットなどと、「東京ワン・ダース」に参加しコントライブも行います。

2010年には、「よしもと新喜劇」に1年間出演し、小籔千豊や藤井隆に新喜劇のコントを仕込まれました。

ピースや平成ノブシコブシから、直美が必要と強い提案で2011年に「ピカルの定理」(フジテレビ)のレギュラーとなり、コントでもブレイクしました。

「笑っていいとも!」「よしもと新喜劇」「ピカルの定理」は、大きく飛躍したきっかけになりました。

 

小籔千豊との絶品コント

渡辺直美はインスタ女王!世界的に影響力のあるインフルエンサー即席コンビでネタを披露する番組「史上空前!!笑いの祭典ザ・ドリームマッチ」(TBS)で、2012年と2013年に2年連続優勝をしています。

特に2013年に小籔千豊との伝説に残る大爆笑コント。「旅館の相部屋」をテーマにしたコントで「こやびん」や「サンデーマンデー」が頭に残る、直美が演じるキャラクターは絶品でした。よしもと新喜劇での師弟関係から生み出された名作だったのですね。

 

アメリカへ留学が転機

「ピカルの定理」に続き、「笑っていいとも!」も2014年に番組が終了します。デビュー以来走り続けてきたため、1回環境を変えて充電しようと2014年に3か月間ニューヨークへ留学。

トークが苦手と悩んだ時期もあり、オリエンタルラジオの中田敦彦から「長所を誰もマネできないくらい伸ばせばいい」とアドバイスされ、一番の武器である表現力を伸ばすためでした。

英語が全く喋れずに、単身でアポなしの渡米はとても苦労しました。週5回で3,4時間英会話を習うものの、最初は英語が雑音にしか聞こえずチンプンカンプン。

1週間で挫折しかけましたが頑張り続け、帰国前には日常会話が聞き取れる程度まで成長。ダンスや本場のショーも勉強し、3か月間の留学経験が大きな転機になりました。

ウケることだけに一生懸命になっていた芸人人生から、ウケなくても楽しめればいいという考え方に変わり、気持ちも楽になりました。

 

世界的に影響力のある存在

ニューヨークに行き来して活躍するようになります。アメリカや中国でビヨンセやレディー・ガガのパフォーマンスを披露し絶賛されました。

自身のルーツでもある台湾では、観光親善大使にも就任。ファッションやメイクなどにも注目され、フォロワー数日本一のインスタグムの発信力を持つインフルエンサーです。

世界的ファッション誌「VOGUE」のYouTubeチャンネルに採用され、ニューヨークでは雑誌の表紙を飾るなど、その活躍は世界的に影響を与えています。

 

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